今回のシリーズでは私たちが住む地上世界がどのように終わりを迎えていくかについての聖書の預言を見ています。聖書は最終的な新しい天と地が実現する前に、大きく分けて3つの特筆すべき段階があると教えています。7年間の大患難時代、千年王国、そして最後の審判です。今回は7年間の大患難時代とそこに突入する時に起きる可能性が高いと考えられている携挙とキリストの再臨についてみことばに聴いていきます。
前回シリーズでは葬儀関連と死んだ直後の人間の魂について学びました。次の関連主題として、今回は私たちが住む地上世界がどのように終わりを迎えていくかについての聖書の預言を見ていきます。聖書は最終的な新しい天と地が実現する前に、大きく分けて3つの特筆すべき段階があると教えています。7年間の大患難時代、千年王国、そして最後の審判です。その最初である「7年間の大患難時代」に突入するまでに起きることについてイエス様は次のように弟子たちに語りはじめました。
キリスト教と葬儀に関する3回シリーズの第1回は葬儀への備えでした。今回の第2回は葬儀とお墓について、そして次回の第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。日本は神道、仏教を始め、様々な宗教が混在する国です。異なる葬儀や死後の世界についての考えが存在する国に生きる者として、どのようにこれと向き合っていけばいいのでしょうか。また、どのように自分や家族の葬儀に備えて行けばいいのでしょうか。この機会に理解を深めていきましょう。
キリスト教ならではの教え、第七回目(シリーズ最終回)はすべての人にとってハードルが高い教えを取り上げます。人間は自己正当化する生き物です。アダムとエバも神が定められた正義の基準に背いた時、まっさきにしたのが自己正当化、言い訳でした。自分の非を認めて謝罪するよりも、他人のせいにしたのです。聖書はこの領域に鋭くメスを入れます。最終回はこの問題にどう向き合い、キリストに習うように導かれているのか、みことばに聴いていきましょう。
キリスト教ならではの教え、第四回目は主の晩餐に関係する聖句です。イエス様が十字架にかけられる前の晩、弟子たちと行った主の晩餐の中で「新しい契約」について言及されました。なぜ、イエス様が流す血が新しい契約になるのでしょうか。そもそもどのような「古い契約」があり、それがどのように新しくされるのでしょうか。
今回のテーマは、キリスト教の教えの中でも特に理解が難しく、「どうやって実践すればいいのか分からない」と感じる人が多い内容です。イエス・キリストは次のように教えました。
27節 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。
この言葉はとても率直で、間違えようのない強い表現です。イエスの弟子になるには、それほどの覚悟が求められるのです。
キリスト教ならではの教え、第二回目は主の祈りこと、主イエスが最も大切にされた祈りです。これはすべてのクリスチャン、そして人類が模範にすべき祈りとしてイエス様が弟子たちに教えた祈りです。この祈りは日曜毎に唱和されているにも拘わらず、世界でも日本の教会でも内容をよく理解した上で実践することが軽んじられているのではないかと危惧しています。
イエスが十字架の上で息を引き取った時にマタイは何が起きたと伝えているのでしょうか。そこに十字架と復活を理解する上で大切な内容が語られています。イエスが息を引き取ったのは金曜日の午後3時過ぎ。この直後に起きた出来事の中になぜか53節で復活の後に起きた出来事が間に語られています。マタイが伝えようとしたことを黙想する時、復活理解が深まることになります。
イエスは十字架につけられる前の晩にゲッセマネの園で弟子たちと祈っていた時に捕えられ、不当な裁判にかけられて翌早朝に十字架刑が確定します。その間、様々な侮辱を受け、度々暴力を受けたイエスでした。8時頃に十字架を背負わされてドロローサ(苦しみの道)の上り坂をゴルゴタ(頭蓋骨)の丘へと向かいました。到着すると両手首と両足首に太さ1㎝、長さ10㎝はあったであろう太い釘で十字架にはりつけにされました。午前9時頃のことでした。十字架に吊るされると、呼吸が苦しくなるため、体を持ち上げざるを得なくなります。その度に極限の痛みが手足に生じるのが十字架刑。激痛に耐えるイエスの傍らであざける群衆。永遠に続くように感じる3時間が経過して昼を迎えてからが本日の箇所となります。
今回の箇所の主題は、人はどのような条件を満たせば神が用意しておられる天国に行くことができるかという問いへの答えであった。イエスはこの問いに逆説的に答えられた。つまり、どういう人が天国に行くことができないのかを先に説明されたのである。その答えは当時のユダヤ人の常識とも、現代の多くの人々の常識とも違っていた。