ヨハネによる福音書

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世の終わりシリーズ② 大患難時代

今回のシリーズでは私たちが住む地上世界がどのように終わりを迎えていくかについての聖書の預言を見ています。聖書は最終的な新しい天と地が実現する前に、大きく分けて3つの特筆すべき段階があると教えています。7年間の大患難時代、千年王国、そして最後の審判です。今回は7年間の大患難時代とそこに突入する時に起きる可能性が高いと考えられている携挙とキリストの再臨についてみことばに聴いていきます。

キリスト教と葬儀③ 死後に起きること

キリスト教と葬儀に関する3回シリーズ、第1回は葬儀への備え、第2回は葬儀とお墓についてでした。そして第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。人は死ぬとどのような手順で霊の世界に移されることになるのか。仏教などでは四十九日など、一定の期間をかけて魂が霊界に移動する考え方が存在しますが、キリスト教には別の考え方があります。これについては、イエス・キリストが十字架の上で隣の死刑囚に語った内容が大きなヒントになります。さっそくご一緒に確認しましょう。

キリスト教特有の教え⑥ あがないと目的

キリスト教において「あがない」という言葉は最重要語であり、聖書の核心部分です。それにも関わらず、これを説明することが難しいと感じる人は多いのではないでしょうか。それは「あがない」という言葉の説明そのものが難しいことにあります。また「罪と裁き」について理解する必要があるからです。これによって既に取り上げたもう一つの最重要語である「救い」についても理解が深まることでしょう。

キリスト教特有の教え⑤ 新しく生まれ変わる

キリスト教ならではの教え、第五回目は聖書に精通していたニコデモというユダヤ人指導者との問答です。ポイントは2節にニコデモが夜にイエス様を訪ねて来たという点です。直前の2章によれば、イエス様は神殿に行くなり神殿内で不正な商売をしている人々の台をひっくり返すなどして商人たちをひどく叱責しました。このことで、それを許可していたユダヤ人指導者たちから敵視されはじめていました。

キリスト教特有の教え② イェシュアの祈り

キリスト教ならではの教え、第二回目は主の祈りこと、主イエスが最も大切にされた祈りです。これはすべてのクリスチャン、そして人類が模範にすべき祈りとしてイエス様が弟子たちに教えた祈りです。この祈りは日曜毎に唱和されているにも拘わらず、世界でも日本の教会でも内容をよく理解した上で実践することが軽んじられているのではないかと危惧しています。

キリスト教特有の教え① 新しい戒め

本日以降「キリスト教特有の教え」をテーマに語りたいと思います。イエス・キリストはユダヤ人たちが大切にして来た聖書理解とどのように違っていたのでしょうか。それが当時の指導者たちとは大きく違っていたからこそ、危険視され、敵視されて十字架刑に至ってしまったと言えます。国内外において分断と対立が頻繁に起きる現代だからこそ、キリストが命懸けで後世に伝えようとした教えを理解し、共に平和を実現する道をイエスの教えから導かれたいと願います。

主の賜物を生かし合う

本日は礼拝後に定期総会を行います。過去二年間、同じ年間主題聖句と聖書箇所を採択したように、これからの2年間共有したいと願っている宣教題「主の賜物を生かし合う」と聖書箇所を選びました。この箇所に示される豊かな内容を礼拝参加者全体で共有したいと思います。教会組織60周年を新年度に迎え、伝道開始100周年を2029年に迎えようとしている当教会にとってふさわしい箇所と思うからです。

罪からの完全開放④ 無限の希望の主

今年は一年を通して国内外で生活、健康、安全、命を脅かす事柄が絶えませんでした。また米国大統領選やAI技術の進歩による経済への影響も大きかった一年だったのではないでしょうか。来年のトランプ次期大統領就任でさらに世界は激変する可能性がある中にいる私たちですが、変わることのない確かな神様の約束に支えられて新年に臨んでいきたいと思います。今年最後の聖書の言葉、イエス・キリストの力強い希望に満ちた約束の言葉に耳を傾けて参りましょう。

罪からの完全開放③ 希望のひかりイエス

 本日はクリスマス礼拝につき、これまでにしたことがない特別な宣教スタイルで話したいと思います。今日のテーマについて聖書がいかに様々な言い方を駆使してイエス・キリストが希望のひかりなのかについて語っていることを実際に33の聖書箇所をご一緒に確認していきたいと思います。

子どもを用いられるイエスさま

今日の話は、イスラエルの三大祭りの一つである過ぎ越しの祭が近づいて来ている時期にイエス様が行った特別な奇跡についての話です。イエス様はやがて過ぎ越しの祭の時に死刑を宣告されて十字架に付けられて殺されることになります。イエス様はそんな時が来ることを身近に感じながらイエス様の元にやって来る人々のために、自分にできる精一杯のことをしたいと願われて、今回の特別な奇跡を行ったのでしょう。さっそく、その場面に移りましょう。