斎藤信一郎

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キリスト教と葬儀③ 死後に起きること

キリスト教と葬儀に関する3回シリーズ、第1回は葬儀への備え、第2回は葬儀とお墓についてでした。そして第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。人は死ぬとどのような手順で霊の世界に移されることになるのか。仏教などでは四十九日など、一定の期間をかけて魂が霊界に移動する考え方が存在しますが、キリスト教には別の考え方があります。これについては、イエス・キリストが十字架の上で隣の死刑囚に語った内容が大きなヒントになります。さっそくご一緒に確認しましょう。

キリスト教と葬儀② 葬儀とお墓

キリスト教と葬儀に関する3回シリーズの第1回は葬儀への備えでした。今回の第2回は葬儀とお墓について、そして次回の第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。日本は神道、仏教を始め、様々な宗教が混在する国です。異なる葬儀や死後の世界についての考えが存在する国に生きる者として、どのようにこれと向き合っていけばいいのでしょうか。また、どのように自分や家族の葬儀に備えて行けばいいのでしょうか。この機会に理解を深めていきましょう。

キリスト教と葬儀① 葬儀への備え

今回からキリスト教と葬儀に関する3回シリーズで宣教をお届けします。第1回は葬儀への備え、第2回は葬儀とお墓について、そして第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。現代に生きる我々ならば、いつ自分の番になるかわからない葬儀について備えることの必要性を認識されていることと思います。 この問題の具体的な備えについて語る前に、本日の聖句から根本的な心構えを確認しておきましょう。葬儀への万全の備えをするためには、人生の目的、葬儀の目的、そして死後について明確に教えている聖書に聞くのが一番です。これらについて3回に分けて確認するのが今回のシリーズの特徴です。それでは本日のみことばから人生の目的と葬儀の関連について共に考えましょう。

キリスト教特有の教え⑦ 自己相対化の秘儀

キリスト教ならではの教え、第七回目(シリーズ最終回)はすべての人にとってハードルが高い教えを取り上げます。人間は自己正当化する生き物です。アダムとエバも神が定められた正義の基準に背いた時、まっさきにしたのが自己正当化、言い訳でした。自分の非を認めて謝罪するよりも、他人のせいにしたのです。聖書はこの領域に鋭くメスを入れます。最終回はこの問題にどう向き合い、キリストに習うように導かれているのか、みことばに聴いていきましょう。

キリスト教特有の教え⑥ あがないと目的

キリスト教において「あがない」という言葉は最重要語であり、聖書の核心部分です。それにも関わらず、これを説明することが難しいと感じる人は多いのではないでしょうか。それは「あがない」という言葉の説明そのものが難しいことにあります。また「罪と裁き」について理解する必要があるからです。これによって既に取り上げたもう一つの最重要語である「救い」についても理解が深まることでしょう。

キリスト教特有の教え⑤ 新しく生まれ変わる

キリスト教ならではの教え、第五回目は聖書に精通していたニコデモというユダヤ人指導者との問答です。ポイントは2節にニコデモが夜にイエス様を訪ねて来たという点です。直前の2章によれば、イエス様は神殿に行くなり神殿内で不正な商売をしている人々の台をひっくり返すなどして商人たちをひどく叱責しました。このことで、それを許可していたユダヤ人指導者たちから敵視されはじめていました。

キリスト教特有の教え④ 新しい契約

キリスト教ならではの教え、第四回目は主の晩餐に関係する聖句です。イエス様が十字架にかけられる前の晩、弟子たちと行った主の晩餐の中で「新しい契約」について言及されました。なぜ、イエス様が流す血が新しい契約になるのでしょうか。そもそもどのような「古い契約」があり、それがどのように新しくされるのでしょうか。

キリスト教特有の教え③ 十字架を負う者

今回のテーマは、キリスト教の教えの中でも特に理解が難しく、「どうやって実践すればいいのか分からない」と感じる人が多い内容です。イエス・キリストは次のように教えました。 27節 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。 この言葉はとても率直で、間違えようのない強い表現です。イエスの弟子になるには、それほどの覚悟が求められるのです。

キリスト教特有の教え② イェシュアの祈り

キリスト教ならではの教え、第二回目は主の祈りこと、主イエスが最も大切にされた祈りです。これはすべてのクリスチャン、そして人類が模範にすべき祈りとしてイエス様が弟子たちに教えた祈りです。この祈りは日曜毎に唱和されているにも拘わらず、世界でも日本の教会でも内容をよく理解した上で実践することが軽んじられているのではないかと危惧しています。

キリスト教特有の教え① 新しい戒め

本日以降「キリスト教特有の教え」をテーマに語りたいと思います。イエス・キリストはユダヤ人たちが大切にして来た聖書理解とどのように違っていたのでしょうか。それが当時の指導者たちとは大きく違っていたからこそ、危険視され、敵視されて十字架刑に至ってしまったと言えます。国内外において分断と対立が頻繁に起きる現代だからこそ、キリストが命懸けで後世に伝えようとした教えを理解し、共に平和を実現する道をイエスの教えから導かれたいと願います。

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