前回は第1章の冒頭から、神は父・子・聖霊なる三位一体の神として人類に霊肉両面で積極的に関わり続けておられる、人格(神格)を持ったお方であることを確認しました。そして神は「言(ことば)」によって、それまで闇に支配されていた地上に光をもたらしたと証言します。この時から事実上の「第一日」として、地球時間が時を刻み始めたのです。
続いて、この世界が命あふれる奇跡的な惑星になるために、神が介入された地球史上最も重要な「第二の出来事」とは何か、ご一緒に見ていきましょう。
聖書は、神の存在と、神が計画された人生の目的を忘れてしまった人類へのラブレターです。これを証明するために、創世記の最初の数ページが存在します。第1章2節では、父・子・聖霊なる三位一体の神のうち、「聖霊」が大切な役割を果たしていることに着目しました。今回は「神の御子イエス・キリスト」を連想させる内容について理解を深めたいと思います。聖書の最初の1ページ、わずか5節の中で、三位一体の神が描き出されていることを確認しましょう。併せて、前回から続く天地創造の第一日が、地球の始まりにおいてどのような特別の役割を果たしているのか、ご一緒に見ていきましょう。
聖書は、神の存在と、神が計画された人生の目的を忘れてしまった人類へのラブレターです。このことを大胆に語り、証明するために、創世記の最初の6頁が存在します。前回、第1節ならびに第1章全体の中心テーマは、この世界を創造された「神」であることを強調しました。神は人間が肉眼で見ることはできない存在です。では、どのようにして創造主なる神を認知できるのか。第2節以降で、神はその方法についても明らかにされています。
書籍の「はじめに」を読むと、著者の執筆動機や目的がわかります。この役割を聖書で果たすのが、最初の書である創世記の第1~5章です。通常の書籍とは違い、聖書の各章は短く、5章までわずか6頁ほどです。口語訳聖書では旧新約合わせて1,735頁にもおよびますが、その膨大な内容をみごとに凝縮し、聖書の中心主題と目的を端的に伝えているのが冒頭の5章です。その内容をひも解いていくのが、新年からはじまる「目からウロコの創世記シリーズ」です。
クリスマスの時期によく教会で語られるのはイエスの降誕物語、羊飼いたちや東方の三人の博士たちの物語です。しかし、もう一組忘れてはならないのがイエスの父と母です。今回はイエスの母マリヤが人知れず背負った十字架に焦点をあてたいと思います。イエスの降誕物語の箇所にどのような十字架が隠されているのか聖書に聞いて参りましょう。
クリスマスの時期によく教会で語られるのはイエスの降誕物語、羊飼いたちや東方の三人の博士たちの物語です。しかし、もう一組忘れてはならないのがイエスの父と母です。今回はクリスマスの時にあまり取り上げられることのないイエスの父ヨセフと幼子のイエス親子が人知れず背負った十字架に焦点をあてたいと思います。イエスの降誕物語の箇所にどのような十字架が描き出されているのか早速聖書に聞いて参りましょう。
日本バプテスト連盟では11月最後の日曜日と12月最初の日曜日を世界祈祷週間として大切にしてきました。そこで二週に渡り世界伝道関連の宣教を行っています。前回は中国伝道に人生を捧げたロティー・ムーン宣教師について話しました。今回は南米エクアドルのジャングルに住む俗称アウカ族(“槍で殺す野蛮人“)伝道に人生を捧げた宣教師たちを取り上げます。
クリスマスが近づく前の一週間、世界のバプテスト教会は「世界祈祷週間」を守り、外国伝道のために特別献金を捧げます。この「世界祈祷週間」を守るきっかけを造った人は、アメリカから中国伝道のために派遣された宣教師、ロティ・ムーン女史でした。今回は「ロティ・ムーン女史の献身と生涯」と題し、斎藤剛毅牧師が発行している「南林間だより」からの宣教です。
今月、北九州キリスト教会は今月は教会設立60周年の節目を迎えています。この機会に、時代が変化しても決して揺らいではならないキリスト教信仰の要、また聖書の中心概念である「十字架」と「復活」と「処女降誕」についてみことばに聴いています。これらは常識からすれば現実離れしている内容ばかりですが、これらの奇跡こそキリスト教の必須概念であり、信ずべき内容であることを再確認したいと思います。
復活が実際に起きたかどうかについての議論は最初期のキリスト教成立時から存在してきました。前回宣教時にパウロ自身が十字架刑の事実と復活の事実について疑念を持つ人々にどう反論したかをお伝えしました。これに引き続き、現代のキリスト教会において復活について疑義が出されていることについても理解を深めていきます。それを理解した上で復活を事実として信じる意義について共に考えてみましょう。